ばしょうの日常

引きこもりクソニート大学生の日常・考えたことなどを書いてます。

運動音痴の自分が伝えたいこと

どうも、ばしょうです。

今日は「運動音痴」について書いていこうと思います。

僕自身、運動がほんとに苦手です。

体力ないし、筋力ないし、うまく動けないし。

そんな自分だからわかるけど、運動音痴はマジで辛い思いをしています。このブログを読んで、運動ができない人の苦労を少しでも感じていただけたら幸いです。よろしくお願いします!

 

 

 

1.学校での運動音痴の苦労

今回は僕が学校の体育の授業で感じたことを中心に話していきたいと思います。

まず、運動音痴が学校で抱える「試練」を紹介します。

第一の試練:体力テスト

まず、僕がいちばん嫌いなのが、毎年春に行う「体力テスト」。

公開処刑ですよ!!!!!!

しかも行う時期が狂ってる。なんで春なんだよ!クラスが新しくなって、新しいクラスメートができて、そこで体力テストなんてやったら真っ先に「運動音痴」のレッテルが張られてしまうだろうが!

あまり書きたくないけど、高三の時の体力テストの記録を覚えてるやつは書いておきます。(本当にヤバいけど笑わないでね!)

 

・握力 右30 左25くらい(中三の頃までは両手14くらいでした)

・上体起こし 25回

・50m走 8秒台

・1500m 8分

長座体前屈 40cmくらい

・反復横跳び 57回

立ち幅跳び 2m10cmくらい

ハンドボール投げ 14m 

 

もちろん帰ってくる結果は大体DかEで、体力の広がりを示す6角形のグラフはいつも小さくて平均以下です。

50m走で足の速さが平均的な人にもめちゃくちゃ置いてかれ、1500m走では周回遅れ、反復横跳びや状態起こしでは自分だけなんかスピードが周りと違う、なんてことばっかり。

周りの人はいじってくるか、それとも作り笑いをしながら裏では笑ってるんだろうなという人ばっかり。そして自分は悪いことに少しでも運動のできない人がいないか確認して、運動音痴は自分だけじゃないんだと心を落ち着かせようとしている。

運動ができる人(あくまでも僕目線)は「50m6秒代出た?」とか「俺シャトルラン120回越え(ドヤ)」とか話しているけど、自分はそんな領域にもないからなるべく離れて静観の立場をとります。「お前はどうだった?」と聞かれたら最後。おしまいDEATH!

あと、これは余談ですけどときどきみかける不正しているやつがいるんですけどあれは最悪ですね。しかもそれって、大抵運動音痴じゃなくて運動できる奴が行ってる印象が強いです。たとえば上体起こしでちゃんと起き上がっていないとか、長座体前屈でちょこっと膝曲げてるとか。よく見ます。ふざけんじゃねえ!

しかもさらにひどいのが、記録を体力テストの提出用紙に書く時。自分の最悪な結果を目の当たりにしなければいけないし、他の人だってその結果をチラチラ見ているはずだし。しかもヤバいのが時々先生が「今から〇〇(種目)の結果を言っていくからみんなメモして」と言った時である。隠したい記録を明るみに出すな!

というふうに、体力テストは運動音痴にとって1年間のうち最初の試練なのです。

第二の試練:体育の授業

さて、「体力テストが終わってひとまず安心」とはできないのです。

体力テストが終わったら、大体球技とかやらされます。たとえばサッカーとか、ソフトボールとか、ハンドボールとか。

でももちろん自分は当然そんなものできないわけで。

授業始まったらまず、キャッチボールとかパス練習とかすると思うんですけど、そもそもそのペアが作れないのです。これはぼく自身の人間関係が影響しているのも一理あると思いますが、それでも自分を選んでくれる人は本当に少なく、大体どこかの2人グループに加わってました。しかも自分はまずボールの投げ方自体よくわからない人間なので、変なところにばっかり飛ぶし、遠投なんて全くできません。サッカーボールを蹴る時も、できるのはコロコロボールだけでボールを浮かす方法すらわからない。たまに改善したくなって自分でインターネットを使って調べたりするのですが、それでもわからない。できない。どうしようもない。

そのあとチームに分かれて試合するわけですが、なるべく「ボールのこないところに…」と野球だったら外野に真っ先に行って場所取りするし、サッカーとかだったら後ろのほうに行きます。

でも、自分は「できない〜」と言って他の人と話しながらつっ立ってるのだけは嫌で、少なくとも諦めたくはない。0.001%でもチームの力になれればいいと思って、頑張って自分のできる範囲で参加してみようとしてみます。それでも、自分のところにボールが来ることなんてほとんどない(他の人は自分ができないことがわかっているからボールを渡してこない)し、来たとしてもうまく処理できないから、結局お荷物になってしまうのです。

夏の水泳は、自分はなんか平均ギリギリレベルではできたから苦ではなかったですが、できない人にとっては本当に苦しいと思います。でも、たまにいつも運動できる奴が水泳に限ってできなくて「俺の気持ちがわかったか!」と内心思っている時もあります。

第三の試練:球技大会や運動会で

球技大会や運動会、運動音痴にとってはもちろん地獄です。

これらは、公開処刑の度合いが違います。クラスだけではなく、全クラス、先生、そして保護者が見ている。こんな中で自分だけ変な動きをしていたら、間違いなく目立ちます。

リレーでは、毎年誰かに抜かされます。たまに内側から抜かされそうになってブチ切れます。一人だったらいいほう。たまに二人に抜かされます。鉄道でいうと、僕が中央総武線各駅停車で、抜かす人が中央線快速みたいな感じ。

学年競技も、少しでも迷惑がかからないようにと思いながらやっています。

2.運動音痴の自分が伝えたいこと

僕が今回のブログで一番伝えたいこと、それは「運動ができない人をわかって欲しい」ということです。

勉強ができる人とできない人がいるように、運動もできる人とできない人がいます。運動ができる人間が学校内でチヤホヤされるのと反対に、運動ができなくて毎回の授業で大変な思いをしている人だっています。

でも、運動音痴の人間は全員が全員、運動が嫌いなわけではありません。

僕は運動することが嫌だとは思いません。むしろやっていて楽しいと思うことだってあります。運動が苦手なだけであって、動くことが嫌いなわけではないのです。同じことを思っている人は多いはずです。

僕は、体育の授業では運動できないなりに「ちょっとでも何かできないか」と考えながら行動してきました。「運動ができないから諦めよう」とはなりたくなかった。自分では少しでも頑張ってきたつもりです。

だから、みんなには運動が苦手でも頑張ろうとしている人を馬鹿にしないで欲しいのです。運動ができないことはその人自身が一番わかっています。精一杯頑張っている人がいたら、手を差し伸べて欲しいのです。たとえば、自分がちょっとミスをしてしまったら「ふざけてんじゃねえよ」「お前あっち行ってて」というような強い言葉ではなく、「ドンマイ」「次頑張ろう」と優しく話しかけてくれるだけで十分です。その言葉が、運動ができない人にとっては本当に心の支えになり、憂鬱な気持ちや不安を軽くさせます。

僕が中学生の時は、体育の授業の時は自分が運動音痴プレーをすると何人かからいじられて嫌な思いをすることがありました。疎外感も覚えています。

でも高校の時はそういった人が本当に少なかったと思います。みんな優しくしてくれたんで中学のときよりも「体育の授業嫌い」ではなかったのではないかと感じています。

高二の1年間だけ僕と運動レベルが同じくらいのS君と体育の授業で一緒になることがありました。春の体力テストで一緒になる機会があったのですが、お互い似たり寄ったりの結果で「初めて自分と同じ運動が苦手な人に会えた!」と少し嬉しかったです。だけど、S君もちょっとほっとしたような顔をしていたのを覚えています。その人もきっと自分が運動ができないことで嫌な思いをしてきたのだろうと思います。

それ以来、体育の授業でペアを作る時は僕もS君もお互いがお互いを指名するようになりました。どちらもが運動できないことをわかっているからお互いに優しく接することができるし、変な思いをしなくて済むからその時は楽な気持ちで臨むことができました。この時はたまたま同じ「運動が苦手」という共通点があったからお互いにいい関係で簡単にいれたのです。これが「運動ができる人×運動が苦手な人」の間でも同様に決して相手を責めず、優しく接することができるような関係を持つことができるようになって欲しいです。

このような「できない人を周りがいじる」社会になってしまう原因は学校の体育の評価姿勢や周りの人間の評価にも影響があると僕は思うのです。体育の授業では大体実技テストでいい結果が残せた人がいい成績をもらうことができるので、我々運動音痴はどうしても低い評価にならざるを得ません。実技中心の科目だからそうなるのも仕方ないけど、精一杯頑張っている人をもっと評価してもいい思います。運動ができるからテキトーにやり過ごす人と、運動ができないながら必死に取り組む人だったら、僕は後者の方が立派だと思います。それでも、周りは運動のできるできないだけで人を評価し、できる人が偉くてできない人はダサいみたいな印象を普通は持たれます。

この風潮・社会を変えるためには、まず生徒教員その他含め一人一人が「運動が苦手な人」を排除しないことが大切になってくるのではないでしょうか。ひとりの努力だから大きな社会は変わらないかもしれないけど、少なくとも運動が苦手な人にとっては大きな支えとなります。また、その努力をもしかしたら誰かが見ていて、そうした動きが一人から二人、二人から四人へと広がっていくかもしれない。そう信じたいです。

僕の行っている大学は体育の授業が一年次の時だけあるのですが、今はオンライン授業となっています。正直、自分の運動音痴が露呈しないことにちょっとだけほっとしています(笑)。ですがきっと高校以下は普通に体育の授業をやっているだろうし、運動ができなくていじめられている人だっているはず。僕はもう少ししたら体育の授業はしなくなるけど、自分より下の子どもたちが運動音痴で精神的に苦しめられる世界がなくなることを願っています。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。