ばしょうの日常

社会人一年生のひとりごと

大学の課題に追われている最近の日々。

書きたくても書けない

今自分には「ブログを書きたい」という願望が存在する。ただ、文字を書きたいという欲求。

だけれども、いざ書くとなると、何を書いたらいいのかわからなくなる。

ここ数日病んでいたのでそのことについて書こうかなとも思ったが、なんと始めたら良いのかがわからない。

書きたいという欲求があるのに、最初の一文字目がわからない。

何を書いたらいいのかわからない。

書きたいことはたくさん存在するけど、どれも書くのに時間のかかるものが残ってしまっていた。また、大学からの課題も残っているので、なるべく短時間で書ける内容がいいなと思っていた。

日常のことを書こうかな〜と思っていたのだが、実際はうまくいかなかった。

 

大学の課題がたっぷり

大学の課題がたっぷりと出ている。そうは言っても、本気で頑張れば二日ぐらいで終わるような内容なのだが、僕はそれを後回しにしすぎてしまったようだ。まだヘラヘラしているが。

やらなければならない課題を後回しにし続けることで、自分の精神はジリジリと削られていく。課題のせいかどうかは知らないが先週の水曜日くらいから、だんだん鬱モードに入ってしまった。

もう少しで長い長い春休みがまっているというのに。

自分のやりたいことが思いっきりできるようになるはずなのに。

進まないのである。

 

バイトに行くと一回はそこそこのミスをする

半年もアルバイトをしているのに、いまだに仕事になれない。

向いていないのか、はたまた自分の能力が低いのか。

確かに難しい仕事から避けている気は否めないが。

それでも自分がいろんなことを全て背負ってしまっていることが問題なのかもしれない。人間不信が理由なのかもしれないが、仕事を他の人に任せるのがまあ不安で(自分が一番下っ端のくせに)、例えば他の人に「これは別の人に任せちゃってもいいよ〜」と言われていたとしても、なぜか気になってしまうことがあるのだ。

話が飛び飛びになってしまっているが許して欲しい。

バイトに行くと、ほぼ必ずと言っていいほど何かミスをする。ミスするたびに自分が情けなくなり、病む。

自分は仕事にとことん向いていない。何もできない。使えない。責める言葉だけは無限に出てくる。

 

自分を見つめすぎる日々

鬱モードになると、物事の関心が全て自分に向けられる。

他の人が話していることが、自分を馬鹿にしているように聞こえる。

自分の見えないところで「あいつクソだよな」と言われている気がする。

自分が必要のない存在に見えてくる。

なんで生きているのかわからなくなる。

何もしていないのにご飯を食べさせてもらえることが辛く感じる。

たとえ褒められたとしても、それが本当に褒めている言葉とは全く思えない。むしろ相手にされていないように感じる。怒られた時には、自分の存在価値を自分から否定する。

もっと嫌われた存在なら、自分の周りに人は寄ってこないのだろうか。

これも自己肯定感が低いせいなのだろうか。でも悪いのは全部、自分だから。

 

「会いたい」けど「会いたくない」

友達と会わなくなってから9ヶ月。

たまには家族以外の、仲のいい友人に会いたいと思う。人の家に行ってゲームしたいし、近況を知りたいし話し合いたい。顔を見たい。声を聞きたい。

だけど、会いたくない。

こんなに病んでいる状況で人と会いたくない。

こんな状況では、話だって異常なレベルでブレーキがかかるだろうし、食事するにしてもきっと緊張しすぎてブツが喉を通らないだろうし、と山ほど心配事が存在する。

こんなニートの状態で人と会うことも恥なのではないかと思う。こんなクソみたいになってしまった自分を誰が肯定してくれるのかわからない。

病むわ〜。

 

毎日だらけて生きすぎたのだ。

人間不信も、自分自身も、鬱も、ニート生活も、学業も、バイトも、何もかもがマイナスな方へと向いていっている。

 

「Are you happy?」

この言葉が重い。