ばしょうの日常

社会人一年生のひとりごと

「客観的」という名の主観的文章【Basho-diary(ばしょうの日記)2021】(3/17〜3/18)

ここ最近の睡眠時間、4時間か12時間。しかもなかなか寝付けないという。うつ病の症状としては成立してるんだよなあ。

 

3/17(水)

今日も安定のニート。やったことといえば、2週間分溜まったドラえもんクレヨンしんちゃんを見たことくらい。本当に1日を無駄にした。

ああ、もう書くことがない。薄っぺらい人生だな。

 

3/18(木)

今日は3時に起きた

写真の整理

昨日から写真の整理をし続けている。思い出の写真がどんどん出てきて、過去に浸っている。もっと今を、そして未来を見ていなくてはいけないはずなのに。「あの頃は楽しかったな」なんて。

キーボード破損した

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キーボードのカバーみたいな「キートップ」ってやつがイカれた

幸い基盤は大丈夫だから打つことはできる

でも気持ち悪い

早くApple Storeに行って修理してもらわないと

写真の整理中に壊れたのだが、右キーが死んだので次の画像に行くのにわざわざトラックパッドを使わないといけないので超絶だるい

ちなみにプロコンも右スティックがイカれてる

スプラしてたら、時々スティックが動かしていないのに反応してしまい、ジャイロが勝手に動いて酔いそうになる

 

スプラが下手すぎて泣けてくる

ガチヤグラの腕前がSに落ちた。まあたくさん負けたからしょうがない。

S帯でプレイしていると、案外楽しいもんだ。なんか勝てるし。

味方がとにかく強かった。そして僕はめっぽう弱かった。もう少しでリードができる場面でキルされたり、無意味に突っ込んで死んだり。味方に迷惑しかかけてないと思い、泣けてきた。気づいたらプロコンで頭殴ってた。

僕的にはS+帯では客観的に見てもぼちぼちの戦績だと思っていたけど、周りから見たらお荷物だったのだろうと思った。主観的な客観的思考をまたしてしまった。

 

「客観的」という名の主観的文章

僕がブログを始めてから、リア友が何人かブログを始めるようになった。更新を続けている人もいれば、やーめたっていう人もいるけど。

他の人の文章を見ているのは楽しい。「この人こういうこと考えているんだな」とか、「楽しいことしてるな」とか。たまに「あ〜それ超わかる!」って感じる時もあって、おもしろい。

で、今回書いていくのは、その人それぞれの「書き方」である。

人によって文章の書き方はさまざまである。その人の文章を何回か読んでいるうちに、その人の文章のクセがちょっとずつわかってきた気がする。英語でいう「can」と「be able to」くらいの違いだけど。

自分が他の人のブログを見ていて相手の文章のクセを見つけられているから、きっと僕のブログを何回か見ている人は自分の文章のクセもわかっているんじゃないかなと感じている。個人的には「こいつ『、』けっこう使うな」とか思われてそう。

この日記みたいなやつとかに関してはただ自分がたらたらと文章を書いているだけだから自分の文章のクセがたくさん現れているのではないのかなと思う。

ただ、自分が「このブログは多くの人に見てもらいたい!」というものに関しては、何回も推敲するし、読み直す。その上で「この表現は万人がスッと読んでくれないのではないのかな」というものは変える。なるべく客観的思考で文章を眺めて。

それでも結局書いたのは自分なので、ところどころには自分のクセ(芭蕉節といえば良いのだろうか)が出てくるのはしょうがない。どれだけがんばっても、著者の書き方や考え方を0にすることはできない。結局主観的文章になってしまうのだろう。

少なくとも僕は、自分が読者登録している方々のブログは楽しく拝見させていただいているが、逆に僕のブログを読者登録していただいている方々はどういう気持ちでこのブログを眺め、どのように感じるのだろう。そして、自分の書いた文章や記事に対してどのような意見や感想を持っているのだろうか。オープンにしている以上、周りからの視線は気になってしまうものである。せっかく読んでくれて「時間の無駄だった」なんてことはしたくないからね。

謎は深まるばかりである。

 

 

明日はバイトだ。土曜かと思ったら、金曜だった。2時間だけだけど。シフトにあまり入れてくれないということは僕は必要とされてないということでいいんですよね?じゃあやめていいんですね。そう思ってる。

せいぜい頑張るよ