ばしょうの日常

社会人一年生のひとりごと

「当たり前」という世界は存在しない。【Basho-diary(ばしょうの日常)2021】(5/29〜6/1)

 

5/29(土)

今日は朝からバイト。

11時くらいに、マネージャー(店長みたいなもん)がインした。改めて、昨日伝えた退職の辞意を伝える。笑って許してくれて安堵。「嫌になったわけじゃないよね?」と言われたので「そんなことはないです」と即答。ここ迷ったら怪しまれるだろ。

確かに辛かったけど、何回も辞めるってこのブログで吐いたけど、たまに楽しくなったり、辞めたくないなって思ったり、従食も美味しかったりしたし、もうちょっといたいと思うこともあった。初めてのバイトでお金を得ることがどれだけ大変なことなのか、そして礼儀だったり、色々学ぶことができたな。なんだかんだバイト先には感謝しているし、辞めるときにはお礼のお菓子かなんかあげたい。

とか語っているけどまだ終わってないからね!!1ヶ月あるから!!

 

今日も普通にお店回せたな。他の人のおかげが8割くらいだけど。

結局自分がメインバックをすることはなかった。多分今後もないだろう。何回か教えてもらったりはしたけど結局できなくて諦めたし、自分には前の方が向いていると思ったから。

結局自分の精神は鬱だったのかよくわからない。何が僕をこんな状態にしたのか。少なくともバイトがストレスだったのかは、バイトを辞めてしばらくたたないとわからないことだろう。

今後、近いうちに大学の学生相談室に行ってみようと思う。ストレスチェックっていうのをやっていて、ちょっと気になった。それで自分の精神状態が気のせいなのか(他の人も同じなのか)、それともイカれているのか確かめたい。

 

日記なのに今後の展望とか書いちゃった。出来事振り返りに戻ろう。

5時くらいに家に帰ってきた。課題をやる予定だったが、やる気が起きずに結局ゲーム。ヨッシーアイランドを全クリした。ヨッシーも終わったし、課題やるか!と思うわけがない。大富豪オンラインをして、眠くなって少し寝て、昨日録画しておいた仮面ライダーを父ちゃんと見て。ダラダラしていたらもう一時だ。今日も何もできなかった。

何回「何もできなかった」と書いたんだろう。きっと365日くらいずっと言っている。

今どうしようか迷っている。いつも通り3時まで起きて、それまで課題をやるか、それとも今すぐに寝て、明日頑張れるかに賭けてみるか。いつも3時に寝ているから、今日は賭けてみようかな。賭博。明日どうなるかは知らない。ちなみに明日この課題ができないと期限までの提出はほぼ不可能。

賭けてみるか。ブログ書いていると自分の気持ちが整理されるからいいね。じゃ、おやすみ。

 

5/30(日)

昨日、賭けで1時に寝たが、これが大失敗だった。

まず寝れない。昼寝をしたのが間違いだったか。いつも3時に寝ている人間が急に2時間も早く寝るなど、不可能だったのだ。結局1時間くらい寝れなかった。

一番初めに起きたのは9時33分。ワンピースに僅かに間に合わなくて、残念。ま、どうせ起きても今日はとうちゃんがテレビ占領しているから見れないか。そう思って、また寝る。

次に起きたのは11時。でもまた二度寝。結局起きたのは13時だった。

賭け、失敗。こんなんならいつものように3時まで起きてりゃよかった。

起きた後も、課題は一向に進まない。やる気が全く起きなくて、課題を少しやってはYouTubeばっかり見ていた。

もうすぐ日付が変わる頃だが、まだまだ課題は残っている。

集中してやれば多分3時間くらいあれば終わるだろう課題なのに、全く手がつけられない。しかもゼミのこともやらないといけなかったのに。自分のたてていた予定はガタガタ。

明日もバイトだからオールはできないし。

なんで生きているんだろう。

僕が辛いのは誰もわかってくれないけどね。

ずっと頭がモヤモヤしている。

寝ている以外に何もしたくない。ゲームするのだって嫌だ。無になっていたい。

 

5/31(月)

今日は朝からバイト。

今日は愚痴を言わせてくれ。いつも言ってるか。

お昼の12時半頃に一人のおばちゃんがやってきた。こいつのせいで今日はめちゃくちゃ疲れた。

まず僕がお冷を出した瞬間から、しょうもない話が始まる。「この店はいつできたの?」とか「初めてきたの」とか。他のお客さんもいっぱい来る時間だから対応しないといけないのに、いちいち対応していられるかってんだ。その後注文をするのだが、いちいち「これはいくら?」と聞いてくる。いやメニュー表に書いてあるだろ。今持ってるそれだよ。

その後、また呼び止められた。ご飯を少なめにしてほしいとのこと。それ早く言ってよ。しかもここでさらにお持ち帰りの要求。それも値段を聞いてくる。だるいったらありゃしない。

さらにさらに、だ。どうも駐車場の車の流れがおかしい。なんか詰まっている。一緒にいたマネージャーに見てもらうと、どうやら車が通路を占領していた(車を止めるスペースに止めていない)ようで、しかもその阻害していた車がおばちゃんのものだという。それをどかしてもらうためにマネージャーが声を掛けるも、対応までに3分くらいかかった。結局動かしてもらえたのだが、この忙しい時間にそんなことさせんな。

その後もそのババアは「アイスが食べたい」と言ってきた。ババアのくせによく頼むな、と思いつつも提供したら、今度は「アイス食べると眠くなっちゃうからやっぱコーヒーにする」と言い出した。

 

「は?」

 

いや、提供したものにケチつけるなよ。他のスタッフさんがそのおばあさんに「それはできないです」と言ったのにも関わらず、いうことを聞かない。幸いそのアイスがカップアイスで手をつけなければ大丈夫なものだったから仕方なく下げたけど、普通ありえないから。

その後また「値段が合わないんだけど」と声をかけられた。どう計算しても合ってるし、そう説明したのにいっこうに理解してくれない。なんとかねじ伏せたけど、もう嫌だ。

そのせいで補充作業とかが遅れて30分上がるの遅くなったもん。

二度とくるな!!!!!!!

 

家に帰ってからは、スプラトゥーンをしたりしてまったり過ごしていた。

昨日やった課題の見直しもしないといけないし、今日の授業も処理しないといけないから、やることはいっぱい残っているのだけど、やる気が全く出ないのお。

 

明日も今日と同じ時間でバイトなんだけど、不安でしかない。というのも、ヘルプで来る人が全く知らない人で、どういう人なのか全くわからないから。辛い。やめると言って正解だったね。

 

6/1(火)

今日もバイト。

今日は来客も少なく、平和…ではなかった。

シフトの途中に急に腹痛に襲われる。そして仕事のできないおばちゃんがなんかイキってピーク時なのに一人休憩に入れる。レジのシステムのせいでお客さんを待たせる。結局めちゃくちゃ疲れた。今終わってみれば特にどうということもないけど、14時ごろの自分は完全に疲弊していた。

でもすこし楽しかった。12時を回った頃、お店には人が集まって、ご飯を食べている。俯瞰的に店を見て、僕の目に映る人たち。なんか「人間っていいな」って思った。もちろんお客さん同士が全員知り合いなわけじゃないから、1人で黙々と食ってる人もいれば3人くらいで話をしたりする人がいたりするのだけど、僕にはそんな光景がいいコミュニティに見えた。人それぞれの経歴は違えども「この店で食事をする」ということはみんな同じ。同じ思いをしている人が集まっている、その現場になんか感動した。どうしてそう思ったのか、詳しくはわからないけどね。

僕の言っていることは多分他の人にはわからないと思う。当たり前の姿に意味を求めるのはいつもの僕の癖だ。「なんで1日は始まるのだろう」みたいなよくわからんことを考えるような人間だからね。でも自分の収納には、そんなほっこりした気持ちが入ってる。

この光景も後1ヶ月で終わりか。それ以降はお客さんとしてしか店を見れないからね。

 

久しぶりかな?バイト終わりのチョコっとサイクリング。

川沿いを走った。日差しは暑いが、木陰は少しひんやりとしている。少し傾き始めた日差しに、風がなびく。

この日はもうすぐ消えるけど、また上がって、世界を照らしてくれる。「明日になれば」、そんな題名ですこし詩を書いて見たいと思った。

家に帰ったら、またスプラトゥーン。課題は残っているけど軽症のものばかりだからのんびりしていられる。

明日はゼミの日。先週は休講だったから2週間ぶりだ。のんびりいこう。今はそれが一番いい。

 

 

総括(「当たり前」の世界)

普段こんな項目入れてないけど、今日は作ってみた。

この日記を投稿する前に「何書いてたかな〜」と確認していたら、気づいたことがあるからだ。

 

5/28にバイトを辞めると伝えて、それから4日たった。きついバイトを辞められることは嬉しいけど、寂しいものもある。5/29土・31月・6/1火とバイトに入ったが、どのときもバイトについて色々考えた。

あんだけ辞めたいと叫んでいたのに、いざ辞めるとなるとこうなるのか。

バック(調理とか)をすることはなかった反面、前(接客とか)の仕事はちゃんと覚えている。お客さんが来たら「いらっしゃいませ」と言って、お冷出して、注文聞いて、提供して、レジして。バイトをはじめたての頃は全てが新鮮だったのに、今ではいちいち深く考えなくても行動できるようになった。

制服を着てバイトをしている間、僕は店員となる。僕が電車が好きだとか、大学生だとか、そういう個性は脱ぎ捨てて、店員としての振る舞いを求められる。バイトを始めたときに他の人から教わったスキルは、初めは思考として機能していたものが、いつしか内部に収納されて、意識せずとも動けるようになる。店員としての行動が「当たり前のもの」となるように。

店員としての行動だけではない。アルバイトが組み込まれた生活も、初めは異質なものだったのに、気づけば当たり前のものになっている。「この日とこの日はバイトだ」っていう、1週間の予定も大体固定化されてくる。9時からバイトの時は「行きたくないな」って思うのも、いつものことになった。

 

だけど、僕はバイトを辞めると言った。

何もしなければ今の生活がずっと続く。終わりは見えない。でもその生活に、僕は出口を作った。

当たり前のような生活が、もう少しで転換する。朝起きるのがだるいと思いながらバイトにいく日々がもう終わる。

そして、その店の店員としての役割を終える。バイト先から見れば、「この日は決まって自分がいる」というような習慣もなくなるわけ。

 

「終わりの見えない生活」と「終わりの見える生活」では、見えるものが変わってくる。

バイトを辞めることを伝える前には当然だった景色がもうすぐ見れなくなると思うと、その景色が特別になる。バイトに行く道のりも、もうすでに特別になった。他にも、色々作業をしているときも、いつもは何も感じないのに、ここ数日はなぜか感慨ものになっている。

「終わりの見える生活」は、もちろんバイト先でおこるだけではない。日常でも起きる。バイトに行く習慣もなくなる。また、バイトで嫌なことがあって落ち込んでも「どうせもうすぐ辞めるから」という言い訳が現実性を帯びるようになった。

 

これまで当たり前の世界だったものが、急に特別なことに見えてきた。

 

僕がずっと思っていることが一つある。それは「絶対など存在しない」ということである。

人はなんでも、さまざまな現象を抽象的にして、法則化したがる。また、行動を無意識に行えるようになる。そのほうが簡単だからだ。言葉を話すときにいちいち長考したりはしない。その状況に合わせて言葉を適当に選ぶ。そして、それがいつか「当たり前」を作り出す。「普遍だ」と言われる。バイトだって、はじめたての頃の、他の人から学んだものを真似する段階から、当然のものへと変化していく。

でもそんな普遍性なんて、ちょっとしたことで壊れるのである。

今のコロナだってそうだ。感染症に世界中がここまで敏感になって、これまでマスクをしなかった人も急にマスクをするようになった。「満員電車で会社に行く」というこれまでの風習が崩れ始めている企業だって存在する。学校の授業も昔は対面が当たり前だったのに、今ではオンラインで学べる機会が増えた。というか僕のいる大学はそれがほとんどだ。

国の文化もそうだ。日本の当たり前は他国の非常識だ。日本は列に律儀に並ぶが、中国はそんなことしない。日本人は主張をしないが、ヨーロッパの人たちは主張しまくる。ある世界の当たり前は、別の世界の非常識だ。

今我々は当然のように地球に生活して、それが当たり前だと思っているけど、もしかしたら1秒後には地球がフリーザみたいなやつのせいで爆発するかもしれないし、急に太陽がなくなって、一日中夜になるかもしれない。「バカか」って思う人もいるだろう。それは今の生活を当然だと思っているからである。でもその可能性が0だと言い切れるだろうか。

色々例をあげすぎた。本題に戻ろう。

これらのように、当たり前だと思われた世界は、いつか当たり前ではなくなる、またはそうではないと感じる。

バイトのことだって、当たり前だった景色が異なって見えてくるようになった。

今我々が生きている世界も、決して当然の連続などではなく、さまざまな選択肢の中から選ばれた、いわば「たまたま」のものなのだ。そして人は、時としてそれに気づいたりする。特に人生の転換点に、かな。

 

「『当たり前』の世界は存在しない」、バイトの終わりが見えたら、そう改めて思い知らされた。

 

 

 

 

日記なのに書きすぎた。そもそも日記だけで4000字くらいあるのに、この総評でまた1500字くらい書いている。ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。