6/30(水)
今日は大学で授業があるので、大学に向かう。先週に引き続きだ。
授業で心理テストを行った。ネットでやるようなものじゃなくて、ほんとにちゃんとしたものだった。「自己意識特性」っていう、自己に対する意識がどれくらいあるのか調べるもので、「公的」「私的」「対人」の三種類に区分される。自分の場合、対人に対する意識がとても高かった。対人は、他人に対して動揺しやすい程度のことを示しているのだが、この結果を見るに僕は極度の対人恐怖症らしい。自分が丸裸になって、少し恐ろしい。
昼ごはんは大学で食べた。学食だったのだが、人が多くてどういう流れで進めばいいのかわからず、途中でおどおどしてしまった。この時めちゃくちゃ人の視線が気になったし、人が怖かった。あ、これさっきの授業でやったやつとまんま当てはまってるや、と感じた。
ゼミも今日あった。今回は家からzoom参戦。もっと積極的に議論に入りたい。まだブレーキかかってる。
課題も残っているし。あ〜辛い。ほんとバイト辞めてよかったわ。
7/1(木)
ゼミ
今日は合同ゼミの日。
文献講読(ちなみに今日でラスト)、今回は自分が司会だった。自分が司会であることを忘れてしまわないようにということが、まず第一の目標であった。そこはクリアできた。多分こういうこと書くと「お前何考えてるの?」って思う人もいるけど、僕はそういうの忘れてしまう性格なんだよね。何か一つのことに集中すると、他のことが見えなくなってしまうというか。バイト先の人にも言われたから、これは事実だ。(このときは言われて正直嬉しかった。自分のことわかってくれてる、見てくれてるって思って。)
まあ何事もなく終わったけど。
文献講読は今回が最後だったから、先生が文献講読をやろうと思った意義とかを話してくれた。個人的には論文を読むという意味でも、またレジュメを作ったりそれを発表したりするという意味でも、よかったと思う。この経験が少しでも活かせたらなと。
あと、今日のゼミで統計の分析方法を一つ覚えることができた。嬉しい。
小池都知事について
小池百合子都知事が今日、公務にテレワークという形で復帰した。ニュースで知事が話している映像を見たが、まだ声がかすれていて、「本当に大丈夫か?」と不安になった。これが「密です!」と威勢を放っていた人だとは思えぬ。
僕自身、小池百合子のファンであるわけでもないし、政策も対して実行していないように思える。彼女がやったコロナ対策は、せいぜい三密という言葉を生み出したくらいなのではないかと思っている。去年の都知事選、果たしてあの結果で良かったのかと、そう思うレベルで信用していない。
しかし、極度の疲労となるとまた話は変わってくるだろう。たとえ政策が死んでいても、彼女は都のトップであり顔であり、いなくてはいけない存在である。いつも矢面に立っていることに対する疲労はとんでもないものであっただろう。安倍さんも辞める前は顔がすごく疲弊していたし。小池さんにはひとまずゆっくりしていただきたいな。
今日、自分の自転車(シティサイクル)のタイヤと後輪ブレーキを交換するための部品が届いた。明日それをやれたらなと思う。だから寝る。
明日はニートですと書こうと思ったが、もう僕はしばらく毎日ニートなことを忘れていた。
7/2(金)
今日は12時に起きた。
今日やったのは、自転車のタイヤ交換だ。詳しいことは別で紹介したいと思う。
1日あれば前後輪とブレーキの交換くらいすぐ終わるだろうと思っていたが、結局前輪しか終わらなかった。要因としては、部品を外すための工具が不足していたことと、ボルトとかがすごく硬くてなかなか緩められなかったこと、そして自分がタイヤ交換に慣れていなかったことが挙げられる。明日は後輪。頑張ろう。
ちなみに、課題を全くやっていない。多分明日も自転車で1日持ってかれるから、できるようになるのは日曜になってからだと思う。
7/3(土)
今日も自転車のタイヤ交換だけした。だけど、はっきり言って進展はなかった。後輪ブレーキのワイヤーを締めているボルトがとても硬くて、力ずくでやったらブレーキワイヤーが逝かれてしまった。結局自転車屋にお世話になった。ついでにタイヤ交換してくれないかなと思ってタイヤを持っていったけど、そういうのはできないらしくて、しかも6000円もかかるっていうことだったからやめた。結局ブレーキのとこだけ直してもらって、700円くらい。
家に帰ってきたが、もうタイヤ交換をしたくなくなってきたし、また自転車を使うお出かけを近々しなくてはいけないから、ひとまず自転車の修理はおしまい。後輪はまた今度やろう。
話すことはそれくらいかな。
課題は今日も進んでいない。
7/4(日)
都議選
今日は都議選の日だった。僕は東京都民なので、有権者側だ。大学で政治学の授業を受けているからか、選挙に関する関心はとても高い。家族と行った。一票を投票箱に入れるとき、少しすがすがしい気持ちになったのは僕だけだろうか。
選挙で辛いのは、負けちゃった人が無職になっちゃうってとこだと思う。そんなこと言ったら就活とかもそうだと思うけど、想像すると少し辛い気持ちになる。でもそれが勝負の世界だからね。
横線の日常
一昨日くらいから、個人的に書こうと思っている「高校3年間のまとめ」(おそらく外に出すことはない)の草案を考えている。イベントをとにかく書き出しまくっているのだけど、やたらと多いことに気がつく。何気ない日常も、振り返ってみれば面白い。高校くらいまでは、自分が未知のものも多かったから、その分イベントも多く発生するけど、もう今は平凡な日常が流れているだけみたいな気がする。大学生に入ってから起きたイベントなんて、半年で一桁くらいだろう。子供に帰りたい。子供の頃は早く大人になりたかったのに。
「人と違う」
今日、きゃりーぱみゅぱみゅの曲を聴いていた。昨日テレビで音楽番組がやっていて、そこできゃりーぱみゅぱみゅが出ていた。「にんじゃりばんばん」とか、めちゃくちゃ懐かしい曲を聴いて、ちょっと興味湧いた。あのころ(2012年頃かな?)はいきものがかりとかセカオワとかゲス極とか、色々乱立していた時代で面白かったな。どれもこれも個性的だった印象。今の曲もいいんだけど、なんか正統派にもどって来ている気がする。僕は正直Official髭男dismに興味ないんだけど、それは僕が彼らの音楽の個性をどうも感じられないから。売れる曲を作る才能はすごいと思うけれど、ふーんで終わっちゃうというか。僕的には個性的なもの、時には「変わっている」と言われるようなものの方が好きだな。
きゃりーぱみゅぱみゅ(パソコンだととても打ちづらい。)の魅力はなんだったんだろうと少し考えてみる。彼女を紹介している文書には「かわいいの発信者」とか書かれている。確かにそれもそうだと思う。スゴい時には海外にも人気だったし。
だけど僕はそれ以上に、曲の個性と彼女の組み合わせが絶妙だったのではと思っている。きゃりーぱみゅぱみゅ(もう打ちたくないから彼女って書いてます)の曲をプロデュースしているのは中田ヤスタカさんらしい。詳しくは調べていないけど。中田さんの作る特徴的なメロディや歌詞が、まず他の曲とは全く違う。ある意味「ぶっ飛んでる」って言ったら失礼だけど、でもそうだと思う。「つーけまつーげまつげまつげ」なんておもいつかないだろ。そして彼女の持っている個性が、その曲とうまく繋がって、結果的に爆売れしたんじゃないかなって、個人的にはそう考えている。
あと一応言っておくと、僕はきゃりーぱみゅぱみゅとの曲の接点として「クレヨンしんちゃん」があった。毎週やっているアニメのオープニングもやっていたし、映画「ロボとーちゃん」の主題歌もやっていたと思う。あ、ロボとーちゃんはかなりいい映画なので観てほしい。で、そういうところで何回も彼女の曲に接してきたというのも、僕が彼女の曲に興味を持っている原因の一部として考えられることも付け足しておきたい。
僕はどうやら、プロトタイプ的な人間になることを嫌っているらしい。僕は「君は普通だね」と言われるよりは「君イカれてるね」って言われた方がむしろ嬉しいかもしれない。文脈によるけど。「人と違う」ってことは、もちろんそれが性能の差だったり、価値観の違いだったりに現れてくる。僕は運動音痴だから50m走で7秒台などだしたことないような人で、他の人より圧倒的に劣っているけど、それは性能の差になってくる。性能は大体いい悪いに分けられて、良ければ良いほどいいというのが社会の考えだろう。対して価値観の違いっていうのは、性能に比べたら良い悪いの判断は無くなってくるけど、社会的規範という面では良い悪いが出てくる。「〇〇才になったら結婚するべき」みたいなのは、それに当てはまらないと欠点として見られる。
だけど性能も価値観も、否定されるべきではないだろう。さっきの例だと、僕は走るのが遅いわけだけど、その分運動ができない人の気持ちがわかると思っている。もっというと、僕はバイトでマルチタスクが苦手で注意されたこともあるけど、それは逆にある一点のものに対する集中力は高いということだろう。何か劣れば、その分何かできることが増えることだってある。
少なくとも、没個性を求める社会では無くなってほしいなって思ってる。
最近の授業で個性とかについて扱うことが多かったから、今回は個性について取り上げてみた。本当はもっと詳しく説明したいけど、そんな知識ないんだ、ごめん。社会学の観点からだと、古代より近代の方が分業が進んだことで個性化が進行したっていう立場のものが多いってことだけ伝えておく。
色々書きすぎた。
明日は出かける予定。出かけないと課題できないから。ある事情で。
じゃ。課題だるい。