ばしょうの日常

社会人一年生のひとりごと

僕は失笑恐怖症かもしれない

失笑恐怖症。

対人恐怖症の一部で、会議・葬式などの絶対に笑ってはいけない場面でつい笑ってしまう病気である。本人としては笑ってはいけない状況であることは理解しており、笑いをこらえようとするが、緊張でどうしても笑ってしまうというもの。

漫画家の蛭子能収さんには「大事な葬式で笑ってしまった」というエピソードがあるが、これが失笑恐怖症である。「蛭子病」なんて名前もあるとかないとか。

 

そんな失笑恐怖症であるが、もしかしたら僕もそうかもしれないと思っている。

具体的経験を三つあげる。

 

一つ目は、嘘がつけないということである。

僕は、嘘がつけない。

「このこと、〇〇君には内緒にしておいてね!」と言われても、いざその〇〇君と会うと、秘密を守ろうと緊張してしまい、気づけば笑ってしまっている。それでコイツはいつもと違う、何か隠している、そうバレてしまう。

 

二つ目は、大事な場面で笑いが止まらなくなってしまうことである。

授業とか大事な話し合いの場所で、ちょっとした面白話を誰かがしたとしよう。そこで同じ場所にいる人たちがニコッとするのは問題のないことだ。ただ、その話が終わって元の真面目な雰囲気に戻りつつある際、僕は時々笑いが止まらなくなってしまう。周囲が元の雰囲気を取り戻しつつあり、僕も笑いをやめようとしているのに、なかなか口角が下がらないということがある。最悪の時には笑いが止まらなくなり、「壊れた」状態になる。

 

三つ目は、人に「嫌だ」と言えないことである。

人に何か自分が嫌なことをされて、「それはやめてほしい」と相手に伝えたい時。ちゃんと想いを伝えるためには、「嫌だっていう顔」をして、はっきり主張しなければならない。しかし僕の場合、その「嫌だっていう顔」ができない。その顔をするときには決して笑ってはいけないのだが、僕はそれもできない。演技しようとすると、つい笑ってしまう。だから人に自分の思いがちゃんと伝わらない。怒れない。「変なやつだ」「ドMだ」と見られる。そして同じ嫌なことが繰り返される。

 

もしかしたらこの体験談を読んだ人の中にも「そういう経験ある!」という人がいるかもしれない。

僕が強調したいのは、失笑恐怖症の人は決してふざけて笑っているわけではないということである。彼らはもちろん笑ってはいけない状況を理解しているし、笑わない自分を演じたいはず。けれど笑わないように頑張るあまり、笑ってしまうのだ。

 

個人的に、この症状に関しては他人に「僕は失笑恐怖症だからこうして欲しい」ということはあまり言えない。とりあえず「ふーん、そういうタイプの人もいるんだな」くらいに思ってくれればそれでいい。あと「少し主張をするのが苦手な人」だと思ってくれればいいな。

 

締まりが悪いけど、これでおしまい。