ばしょうの日常

社会人一年生のひとりごと

東京駅で旅を終えることは僕のルーティーンみたいなものです。飲み会の後にラーメンを食べに行くのと同じだと思います。

僕の旅は、東京駅で終わる。もっというと、丸の内の駅舎を見ることで完遂される。

大回りの時の、山手線10周をした時も、青春18きっぷで鈍行旅をするときも、だ。

もちろん、他の駅で終えてもいいのだが、僕は東京駅にこだわっている。その方が旅が締まるような気がしている。

東京から旅に行くということは、もちろん東京より田舎に行くということになるので、必然的に帰りは田舎から東京の明るい世界へと進むことになる。その変化を感じる上で一番明るい場所を目指したくて、では日本で一番輝いている場所がどこだろうと考えた時、僕はそれは東京駅なんじゃないかと思っている。

東京駅は経済的、政治的、皇族的な中心地であることはもちろんのこと、鉄道の中心駅でもある。実際、鉄道が最初に開通したのは皆さんご存知の通り新橋から横浜の間なのだが、まあ現代となっては新橋駅にそれを示すものはせいぜいSLくらいしかなく、日本一のターミナルと言ったらやっぱり東京駅になるのではないだろうか。

東京駅の丸の内駅舎を見て何をしているかというと、これまでの旅を振り返ったり、この旅を通じて自分に何か変化があったのか、そして今後どうしていくかみたいなことを考えている。まず、自分がさっきまでいた場所の方向を向き「私はあっちからやってきた」ということを確認し「あちらの世界では今どうなっているのだろうか」などと考える。何かつながりのようなものを感じているのかもしれない。そして、旅を振り返ったり、明日への希望を受け取りながら、もう一度東京駅の改札をくぐって帰る。ここまでが僕のルーティーンである。

たとえ何かが変化したとしても変わらないルーティーンを持つことの大切さが、東京駅で旅を終えるということをしだしてからわかるようになったかもしれない。たとえどこにいたとしても、必ず僕はその場所に帰ってくる。いや、帰る。帰る場所がある。それが僕を突き動かす。それは旅から帰ってくる時だけではなく、行く時もそう。出発する時も、最後東京駅に帰ってくることを考えながら向かう。私の帰りを待っている場所へと向かう。それは苦難の旅においては希望となる。

僕はいまだに酒を飲んだことがないのでよくわからないが、飲み会の後は締めのラーメンっていうやつがあるらしい。酒飲んだ後にラーメンとは、金持ちでデブだなと思うが、まあ当人にとってはそんなことは関係なく、ラーメンを食べることによって「これで酒はおしまいですよ」「家に帰るぞ」とった意識を持つことができるのだろうと、勝手にinspirationしている。

変化する世の中で、行動も少なからず変化していく。ユーミンの卒業写真にも「話しかけるように 揺れる柳の下を 通った道さえ今はもう 電車から見るだけ」という歌詞があるように、あの時向かっていた場所はいつか2度と行かない場所になってしまうのかもしれない。あるものは消え、そして消えたものが現れたり、全く知らない世界が人を待ち受ける。そんな中で変わらないことを持っていることは希望になるのかもしれない。