ばしょうの日常

社会人一年生のひとりごと

「洗脳欲求」

鬱モードになって病んでいると、何もやる気が起きなくなる。

この世界の全てがどうでもよくなってくる。

外に出るのはおろか、歯を磨くのも、起床したあとに布団を畳むのも、さらにはご飯を食べることさえもどうでもよくなってくる。

 

そうなるともちろん、大学から出されているレポート課題の期限が近づいているのにも関わらず、何も進まない。パソコンを開いたはいいものの、頭が起動していないので何もできない。

よく人は「まず1分やってみよう、そしたら勝手にやる気出て続けられるから」という。レポート課題など、ワードファイルを開いてキーボードで「A」を打つだけで「あ」と入力できるほど始めるのはvery easyなのに、ワードファイルを開くことすらしたくなくなる。

そんなとき、僕は大体YouTubeに逃げている。

別に見たい動画などないのに、ホーム画面を何度も更新して、対して面白くもないような動画をどんどん喰らっていく。

実際、とてもつまらない。時間の無駄になっていることも、動画を見る時間があればレポート課題が進むこともわかっている。それでも、課題や現実から逃げるために、動画を見る手を止めることはできない。

 

そして病んでいても、バイトの時間はやってくる。

一応レポートで忙しい体なので普段よりバイトは減らしているものの、「週ゼロは控えていただきたい」というバイト先からの都合により、ここ最近は週に1,2回くらいのペースで働いている。

働く前は決まって「行きたくない」という気持ちが異常なレベルで溢れていて、前日くらいからずーっと「嫌だ嫌だ嫌だ」と思っているくらい追い込まれる。

だけど、いざ職場について働きだすと、割と普通に立ち回れる。さっきまでの憂鬱さが、まるで嘘のように。

まあミスはするけど。それで怒られてまた憂鬱になるんだけど。

それでも、バイトをしている時間が、「レポート課題をやらなくてはいけないのにできなくて自己嫌悪になる時間」よりもまだマシだと感じる。

そもそも、バイトをしているとレポート課題のことなど考えている暇すらないので、ある意味楽でもある。

 

「課題から逃げてYouTubeを見まくること」と「バイトの時間は課題を忘れることができること」、この二つのことの共通点を考えると、僕は一つの考えにたどり着いた。

 

「僕は『洗脳』を求めている」。

 

洗脳といっても、今回の定義は一般的なものとは少しずれている。自分の拠り所を求めて、自分をせき止めてくれる何かを、僕は探している。

一つは、課題という自分にとって嫌な存在から逃げるために。

二つは、病んで何もやる気が起きない自分が、一つでも夢中になるものを探しに。

 

人は、何かに熱中していると、逃避の手段なんていうものはあまり見えなくなる(考えなくなる、気にしなくなる)。それは、その熱中しているものが今の自身の心の在りどころとなっているからなのではないだろうか。ゲームでも、読書でも、それが自分の今の軸として生きている。軸があるなら、他の何かに頼る必要などない。

だが、今の自分はどうか。

病んでいて全てのことにやる気が出ず、何もかもがどうでも良いと感じている自分に、軸は存在しているのか?いや、ない。(反語)

軸のない世界に、課題という悪魔がやってくる。

その課題から逃げるために、僕は課題から身を守ってくれる、拠り所としての軸を探そうとする。今回の自分の場合、それはYouTubeとバイトだった。

課題をやらなければならないという思いは、逆に課題を軸におこうとすることでもある。僕はその軸が嫌で、YouTubeという軸を手に入れようとする。バイトという軸を手に入れようとする。

 

結局、僕の場合「課題をやる軸」や「YouTubeに逃げる軸」「バイトの軸」よりも「大学の単位落としたくない軸」の方が強かったらしく、レポート課題は今のところ全て間に合っているので良かったが。

僕が一種の「洗脳」を受けることはなかったが、YouTubeには人を飲み込む力があるだろう。なおバイトは「店員という自分を演じる」という点ですでに飲み込んではいるが。

いろいろ大変なことは今後も起こるだろうけど、どうか軸だけは保っておきたいと思った。

 

そういえば、このブログの文字数、レポート課題で規定されている文字数よりも多いな。僕の今の軸の一つに「ブログ」が芽として現れてきているのだろうか。