ばしょうの日常

社会人一年生のひとりごと

僕は多分感受性が強い【Basho-diary(ばしょうの日常)2021】(12/21〜12/27)

 

12/21(火)

今日は8時に起きた。ゼミの用事で大学に行く。いつもは電車で行くのだが、今日はクロスバイクで行ってみることにした。距離的には全然行ける距離だが、坂が多くて大変だった。改めて電車のありがたみを知った。時間的にも電車より10分くらい多くかかってしまった。今後も自転車通学をするかどうかは検討しなければならないが、楽しかった。自転車通学して、電車賃浮かせた分で美味しいもの食べるとかでも全然ありだね。

 

で、大学。印刷を大量にかけて、ホチキス留めをするという労働。6枚1部を500部作らなくてはならず、ホチキスどめが大変だった。最後の方はヤケクソだった。

明日はゼミの授業なので、、、はあ大変だ。暇できるのが金土日くらいしかない。

 

12/22(水)

疲れた。

 

8時に起きた。大学ではゼミの作業ばっかりしていた。昨日やってたホチキスの残りもやった(途中でゼミ生が助けてくれたが喋りながらだったので若干イライラした)。

ゼミも長引きすぎた。今日は9時まで大学にいた。追い出される時間までいたことになる。疲れた。それだけ。

さらに、今日荷物を持って帰れなかったから明日も行くことになった。電車賃があああ

というわけで明日も早起き。今日こそは早く寝ようと思っていたが、結局他の課題が立て込んでいて無理そう。

 

12/23(木)

今日も8時に起きた。三日連続で大学へ。初めて週3で大学に行った。嘘、受験の時あったかも。スーツケースを持って行った。

今日も作業。途中で講義のテストがあったけどそれは超適当にやって、あくまでも作業に注力。

自分の分は終わって、他のゼミ生の分も少し終わった。

帰り、作業した分を持って帰るのだが、とても重くて大変だった。駅では必ずエレベーターを使用しなければならなかった。

 

楽観主義と悲観主義

大学の帰りに考えていたことがあるので書いてみる。

僕は最近楽観的に物事を捉えがちだ。「なんとかなるんじゃね?」とか「いけるっしょ?」みたいな。レポートを先延ばしにしているのもその理由なのかもしれない。

でも僕は自分のことを悲観主義者だと思っている。病んだ時には特にそうで、「もう自分の人生なんて終わりだ」とか「自分の人生になんの意味があるんだろう」なんてことを考えるのは日常茶飯事だ。ただ最近はあまり病んでいないのだが。

悲観主義のときと、楽観主義の時の格差が激しい。気分によってコロコロ変わる。気分屋だからなのか、それともバカ(天然)だからなのか、それはわからない。

でも、小学生の頃はわりと楽観主義というか、明るい性格だったと思う。それが年を重ねるにつれて悲観主義というか、どんどん根暗になっていくというか、そんな気がする。

 

二項対立といえば、友達の作り方なんかもそうだった。

小学生の頃はいろんな人と仲良くしていたような気がする。みんなの中の一人みたいな、そんな立場?今の自分がゆうのもなんだけど、明るかったし優しかったと思う。

でもそれが中学になって、インキャロードを進み出し、固まった人としか会話をしなくなり、人をいじめ。暗黒期。

高校の時も最初の方はみんなと仲良くみたいなタイプだったのかな?だけど途中あたりからは部活のグループとばっかり関わって他の人とは自分を区別するようになった。結果的に僕と仲良い人は仲良いけど、それ以外の人とは全く触れないみたいな、そんな感じ。

大学も結局ほとんど知っている人いないし。

つまり、友達の作り方が量から質に変化したといえるのかもしれない。

 

だけど、その中には小学校の頃の自分がいるような気がして。

確かに今は触れ合う友達は本当にごく僅かだし、友達の話を聞いて「どんだけ多くの人と交流持ってるんだよ」って思うこともよくある。

でもいろんな人にいい顔を見せようとする、小学生の時のような気持ちは今も残っているといえる。絶対に敵を作らないように、みたいな考え方が底にはあって、それが非友達のときも友達のときも発生する。もしかしたらそれが影響して、誰も僕の中身に突っ込むことができなくて、なかなか気の置けない友達が作れないのかもしれない。

あとは人に優しくするってことも、たまには起きる。だから対して仲良くない奴にも優しい奴みたいに思われることがよくある。

 

閉鎖的な人間関係を気付いている人間が、時に開放的な人間像を示す。今を生きる自分の中に、小さな頃の価値観が埋め込まれている。

暗い今の自分の中にも、明るい自分がまだ残っている。

今と昔の考え方に影響されながら、邪魔されながら、葛藤されながら、今の自分ができていると思うと、どこか歴史性を感じる。

 

 

 

12/24(金)

15時に起きた。四日ぶりくらいに引きこもりクソニート生活が戻ってきた。ただ気分はあまり良くなかった。忙しいのも辛いけど、暇なのも辛いなあ。どっちがいいんだろうね。

ちなみに母親の誕生日だったけど、僕はダメな人なのでプレゼントとかは毎年送ってない。今年もそうだった。ケーキ食べたくらい。

スプラ。特に成果はなし。ギアを少し調整したくらいかなあ。

一応大学は今日で終わり。まあ今日の授業の課題をやっていないのでそれは明日やるとして、冬休みはレポートとゼミ課題で終わるだろうなあ。もしかしたら一月が忙しくなるかもしれない。

 

 

12/25(土)

15時に起きた。

大したことは何もせず、今日も引きこもっていた。課題は一つだけ終わらせた。

スプラ。今日は配信をした。新規の方が一人きてくださったので楽しい時間を過ごすことができた。途中で音ズレがひどくなって配信を中断したりしたし、負けまくったけど、まあよかったのでは。

ちなみに今日はスプラチャージャーベッチューを使ってみた。ガチマ、特にウデマエXでチャーを持つのは初めてだった。最近ちゃんとエイム練習していたからか当たることは当たるんだけど、やっぱり立ち回りがなってないなって思った。チャーはこっそり練習して、今度友達とやるときに引かれるくらい上手くなっておきたいな。

明日も予定はないし、どうせゆっくりしているのだろう。

 

12/26(日)

15時に起きた。

親が日本沈没の最終回を見ていた。僕は見ているわけじゃないけど、たまたまやっていたので見ていた。途中のシーンで泣きそうになってしまった。大して見てもないし、内容もほとんどわからないのに、感動シーンでもらい泣きしそうになった。

この頃、自分の感受性の高さを感じる。

神田沙也加さんのときも、松田聖子さんと神田…(名前忘れた)がお骨持っているシーンで泣きそうになった。

そういえば、飲食店でバイトしていたとき、少し嫌だったのが「食糧が餌のように扱われるように見えた」ことだった。お店は大量に食料を仕入れて、それをお客さんにたくさん食わせる。客はお店のご飯を求めてやってくるし、お店はそいつらの欲求を満たすために客を食で支配しようとする。申し訳ないが、僕はその現場が牧場のように見えてしまった。大量生産・大量消費の現場を見て。面白いもので、合理性は醜く見えるのだ。システム化されすぎた社会にはどこか嫌悪感を感じる。

なんか感受性の話とは離れたような気がするけど、要するに多分僕はいろんなことを吸収して考えすぎちゃうんだろうな。さっきの飲食店のことなんて、ほとんどの人は感じないだろう。

 

でも感受性が高いのは悪いことばっかりではない。空をながめて「あ、いいな」って思えたり、日常のちょっとしたことで幸せを感じられたりする。その分1日がちょっと楽しく思えることもある。

能力は使いようだね。

 

課題は進んでないよ。スプラも対して進捗なし。

 

 

12/27(月)

今日も14時起き。

課題は何も進まず、家から一歩も出ず、引きこもっていただけ。マジで何もしていない。

スプラ。今日も負けた。多分外出てないのが原因。前もそうだった。家から出た日はなんかスプラもうまくいくし、ずっと引きこもっていると負ける。そんなもん。明日は外でたいな。

最近またパズドラをやり出した。初めは火力が足りなさすぎて負けまくっていたが、サクヤパを作ってからはちょっと勝てるようになった。でもコンテ癖は治らない。今日も10コンくらいした。まあ石はいくらでもあるし、どうせやり込むわけでもないからいいだろう。

以上。