ばしょうの日常

社会人一年生のひとりごと

知能低下欲求と情報蓄積欲求の葛藤

ここ最近、僕の頭の中がずっとぐちゃぐちゃになっている気がする。

「あれをしなきゃ…これをしなきゃ…」と思うばかりに何から手をつけたらいいかわからなくなる。

人間関係や学校の課題、バイト、社会情勢…など、色々と悩みが重なって「どうしたらいいんだろう」「この複雑な問題をどう解決すればいいのだろう」というような複雑に糸が絡まっているような気持ちになる。

常に頭の中がモヤモヤしているような、そんな状態である。

 

…で、僕が現在こんな状態になっているのはどうしてなのか考えたときに、「情報・知識を過剰に蓄え過ぎた」というのが原因なんじゃないかって思った。

例えば、この前起きた京王線の犯罪のこと。自分は見る前にあらかじめ「自分はこう思う」っていう考えを作ってから見るタイプなんだけど、SNSとかでいろんな意見を見るうちに、自分の意見がすぐ揺らぐ。「自分の意見が間違いなんじゃないか」って思う。どうでもいい第三者の意見に揺らがれる自分とは。軸が定まっていない証拠である。

他にも、食生活とか、コロナの問題とか、色々情報を蓄えたりするうちにどんどん頭の中がこんがらがる。自分が巨大な迷路に迷い込んだような気持ちになる。

 

そして僕はいつもこう思う。「知能なんかいらない」と。

知能さえなければ、たとえどんな問題に当たっても大抵のことは気にせず生きていけるし、無駄に物事を考えなくて済む。

そもそも僕は世界を知り過ぎた。学校教育なり、ニュースなり。知らないほうが幸せに生きられたようなこともたくさんある。無知でいることがどれほど素晴らしいことか。

これを「知能低下欲求」としておこう。

 

しかし、その知能低下欲求を止めようとする奴がいる。

それが「情報蓄積欲求」(自分で適当につけました)だ。

 

情報蓄積欲求とは、名前の通り「〇〇について知りたい」という欲求である。

学校では、僕は学びたいことがあって学んでる。自分の関心を知りたい、解明したい、また「社会のこんな問題をもっと深く見てみたい」と思って学ぶ。

ニュースもそう。今何が起こっているのか、それについてどのような意見が飛び交っているのか、気になるからテレビをつける。新聞を読む。

あとは趣味とかもそう。僕は鉄オタなので、新型車両の導入状況だったり、鉄道会社の情報を調べることが多い。それでたまに撮り鉄の迷惑行為も出てきちゃうのだけど。

 

少し話がおかしくなってきたのでまとめる。

結局僕が言いたかったのは、「何も知りたくない」「頭パッパラパーの状態で生きたい」という気持ちと、「情報を知りたい」「賢くなりたい」という気持ちが葛藤しているということである。

「知能低下欲求」と「情報蓄積欲求」の葛藤だ。

知りたくないのに知りたい。馬鹿になりたいのに賢くいたい。そんな真逆の二つの感情が戦っているような気がする。

 

この二つの感情に折り合いをつけながら、これからずっと生きていかねばならないのだろう。

特に今の情報社会では、どうやっても情報が入ってくる。そんな環境の中でどう自分を処理し、律していかなければならぬのか、考えなければならないようだ。